旅育、という言葉がある。
子育て世代が注目する旅育とは?|家族旅行を通じて主体性&感受性を育もう旅育が子どもに与える影響や、旅育を成功させるポイントについて解説します。hoiku.mynavi.jp
私自身は旅行が好きで、もし一生遊んでも大丈夫な資金力があればひたすら旅行に行っていると思う。
子どもを産んでからもよさこい遠征で旅行(というか遠征)に子どもを連れて行っていたものの、ちゃんとした旅行、というのは行ったことはなかった。
そんな最近、保育園で折鶴を集め、娘の担任の先生が広島まで持って行ったということをきっかけに、娘6歳が広島に興味を持つようになった。
同時に、戦争とは何か、どうして国同士が戦争をするのか、ということも考えるようになった。
そんなときに、私が関わり続けているNPOのイベントが博多であるというタイミング。
これは何かの流れかな、と思い、ワンオペ旅行を決断したのである。
親一人、子二人。無理ない旅路を探る。
夫は仕事のため、私が一人で二人の子を引率(?)することになる。
広島滞在は1日&バギーがあるので、どうすれば楽に回れるかのリサーチが必要になった。
広島でやりたいことは
- 折鶴を見る
- 平和記念公園に行く
- お好み焼きを食べる
- 厳島神社に行く
- 揚げもみじを食べる
最後は私の願望になっているけど……。
それを叶えるためのコスパ良いプランをChatGPTに考えてもらった。
こういう時AIは強い。
一人で調べていたら3時間くらいかかりそうなものが、ものの2、3分で終わった。
旅のリサーチを素早く済ませたければ、AIを頼るのは非常にありな手段だった。
平和とは
広島当日。
娘待望の折鶴を見た。折鶴たちは静かに佇んでいた。
娘の保育園の千羽鶴がどれかはわからなかったが、とても多くの団体が折鶴を送っていることがわかった。
原爆資料館に行くかは最後まで迷った。
私は大人になって原爆資料館に行ったことがあるが、大人になっても衝撃は非常に強かった。心に重いモノがどーーんと残ってしまう。
日本に起こったこととして、二度と起こってはいけないこととして、知らなければならないと思うが、6歳に見せるモノなのかは非常に迷った。
迷った結果、行かなかった。
娘の心に起きることを考えたら、今ではないと思ったからだ。
その代わり、「平和ってなんだろうね」という話をたくさんした。
「おともだちと遊べること」
「ごはんが毎日食べられること」
「おうちでぐっすり眠れること」
「お祝いができること」などなどなど。
今が平和でよかったね、毎日ありがとうって思っちゃうね。
こういう話は、広島に来なかったらできなかったと思う。
原爆ドームを見て、その重さや恐ろしさを改めて想ったから、話すことができたんだろうと思う。
娘は具体的なことはわかっていないかもしれなけど、
翌日「へいわはすてきなだね」とメモ書きしていた。
知育とは子どものためだけのものか
原爆ドームを見ながら、ここまで広島が復興してきたのは先人たちの努力があったからだろうなと思う。
話はずれるが、阪神淡路大震災でボロボロになってしまった神戸も今は元気を取り戻している。(私はその時大阪で阪神淡路大震災を経験している)(そして年代がばれる)
そういう意味で、先人たちへの感謝と敬意が改めて湧き上がってきた。
子どもが何か受け取ってくれればいいなと思い、出向いた広島だったが、親の私も学ぶことがとても多くあった。
先人への感謝・敬意と、この平和を壊してはならないということと。
政治的な活動は好きではないが、何か1つでも未来に平和を残すために行動できればと思った。し、思うだけではなく少しずつ1つずつ広げていきたい。
なんでだろね、を大切にしたい
原爆ドーム・折鶴以外に、私の希望で厳島神社も付き合ってもらった。
「海の中にある神社だよ」というと「溺れちゃうからいきたくない」「くじらがいるかもしれない」と怯えていた娘だったが、
いざ行くと思いのほかワカメとの触れ合いを楽しんでいた。
「なんでいつもは海の中なの?」
「どんなかみさまがいるの?」
と色々聞いてきたけど、なんでだろうねえ、なんでだと思う?と聞いてみた。
クジラが水を飲んでいる、お姫様みたいな神様がいると色々答えてくれた。
その想像力をずっと大切にしてほしいなと思った。
これもその場で生のモノを見ないとイメージはできない。
そういう意味で、旅というのはココロを育てていくのかな、と思ったりもしたのだった。
ふられるまで、いっしょに色々行きたいね
親一人子二人の旅行は大変ではあったけど、とても幸せな2日間だった。
たくさんたくさん話せたし、たくさんたくさん笑うことができた。
旅の非日常&家事のこと考えなくていい時間は、なんかこう、人を開放的にさせるんだろうな。
娘が10歳になった時に大好きなヨーロッパに行く計画を密かに立てている。
娘に「もうママとはいかない」とフラれるまで、これからも一緒に旅をしながら成長したいと強く思ったのだった。